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携帯電話を撲滅せよ
2009-01-13 Tue 02:22
僕の携帯もいい加減ウンコですので、iPhoneを購入しようと思ってソフトバンクショップに行ってきました。
店頭でいじくった感じでは、確かにMacユーザーにはたまらない仕様。

んで、これまでの明細持って行って、今までと同じ感じでiPhone使ったら月々いくらになるか計算してもらったところ、これまでの費用+5000円くらい(これまでは月6~7000円くらい)になるそうな。
無理。iPhone却下。
ぜいたくは敵だ。欲しがりません勝つまでは。

確かにもはや小さいMacを持ち歩いているような操作性だし、必要な人にとっては是非とも手に入れたいアイテムなんだろうが、そもそも僕は携帯に対する依存度が著しく低いのである。
九月に携帯を水没させてから約2ヶ月、全く携帯なしで過ごしたけれども、全然不便を感じなかったし。
むしろせいせいしたくらい。

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ところで、以下を見てもらいたい。

A子:2年
B子:2年半
C子:3日
D子:1ヶ月
E子:5ヶ月










これは何かというと、わしの女性遍歴である
B子とC子の間に大きな断絶があることがお分かり頂けるだろうか。
A子B子とは2年以上付き合えたのだが、C子以降はスピード離婚の連続である。安達祐実なんかには負けない。
実はB子とC子の間に、大きな社会情勢の変化があったのである。


それは 携帯電話の普及 である。


もちろん全てとは言わないが、概して女性は電話が長い。
そして僕は、長電話が大嫌いなのである。
あんな鉄の塊に何時間も語りかけるくらいなら、直接会った方がよっぽど良いと思うのである。

あとわけわからん毎日メール。
あれって、もはやサイバーテロだと思う。

以前書いた日記(←クリックでジャンプ)

そもそも、相手の都合も聞かずに相手の時間をイナゴのように貪り尽くす、ああいう行為が何故平気で出来るのか皆目謎である。
こちとら、命懸けで仕事やってんだ。

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僕もいちおう社会の一員ですから、僕なりに社会が良くなるにはどうすればいいか、いろいろと考えているんです。

僕なりのアイディアとしましては、
「出産は資格制にする」
「阪神ファンは思想犯として摘発する」
「寿司はさび抜きがデフォルト」

などいろいろあるのですが、中でも最もプッシュしたいのは、

「メール税を導入する」

これだね。メールの料金を10倍にする。
迷惑なスパムメールも減るし、一石二鳥である。
タバコの料金なんか10倍にするより、よっぽど国庫も潤うと思う。










以上は全て冗談です。許して。

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新しい家族ができました(3)
2009-01-09 Fri 23:36
皆さん明けましておめでとうございます。今更ですみません。
年末は30日まで、年始は3日から仕事だったので、正月?なにそれ食えんの?
受験が終わる3月が、わしの正月である。
年賀状なんてもちろん書いてないし、実家にも帰ってないどころか電話もしていません。
実家の老人と駄犬(←父が飼ってるチワワ)が生きてるかどうか、今度探検に行こうと思う。


年越しそばなんて作るのめんどくさいので、カップラーメンで代用しました。

CIMG4009.jpg

ずー、ずずず。
びんぼうの音がする。


栗きんとんなんて作れないので、代わりにスイートポテトを作ってみました。

859764_2253296489.jpg

自分で、自分が食うためにスイートポテトを作る36歳。
うるさい。


なお初夢は、加藤夏希と付き合う夢 を見ました(本当)。

今年の目標は、精神年齢を上げることです。

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ところで、平田さんの娘が蛹になりました。
元旦に蛹化するとは、めでたいやつである。

6246013_4034850737.jpg

素人の僕はいろんなクワガタHPを参考にさせて頂いているんですが、
とても暖かいお人柄が伺える、良心的な楽しいHPも多いんです。
「クワヲタ」の一言で片付けて、謂われなき蔑視を向けてはいけません。

で、とある有名HPで、東京で開催される「クワガタ・シンポジウム」の告知を見つけた。
クワガタ界の重鎮(←この辺で既に半笑いの俺)が講演をなさるそうな。

で、その告知に貼ってあった画像がこれ。










6246013_2477265778.jpg

完全にツボ。
笑い死ぬかと思った。

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近親憎悪(2)
2009-01-06 Tue 00:06
24歳の時に、本気で音楽で身を立てようと決め、アカデミックな世界と訣別した。
教務課に退学届を出した時の気分は今でもよく思い出すが、ちょっと言葉には出来そうにない。

中学時代から憧れていたベーシストに奉公したくて音楽学校に入った。
正直自分の「技術」には自信があった。俺がプロになれない訳はないと。
チャンスらしいチャンスも、何度かあった。
しかし、全てものに出来なかった。
全ては自分の「甘え」に依るものだ。自分から放棄したと言ってよい。

「慢心」。その一言に尽きる。

その時の仲間でプロになった奴も結構いるが、全員に共通しているのは、やっぱり「人間性」なんだな。
技術的なことはもとより必要だが、彼らの全てが、周りの人間に対する愛と思いやりと、自分を律する強さと謙虚さを持った奴ばかりだ。例外は無い。

「善人が最後には報われる」とか、そういう陳腐なヒューマニズムを唱える気は更々無いが、こと音楽に関してだけはそれが当て嵌まる。
神様に愛された人間だけが、御褒美を貰えるのだ。

してみると、僕が成功しなかったのも至極当然と頷ける。
音楽的才能については知らんが、人間的才能が僕にはなかった。

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「会社の待遇が気に入らない」とか
「周りがしょうもない奴ばっかりで参る」とか
「私はなんで報われないの。こんなに頑張ってるのに」とか
そういう文言を見ると、吐き気がする。

不幸な奴は、悉く「天罰」なのだ。
環境は己を映す鏡なのだ。

「辛すぎる。もう死んでしまいたい」とか、馬鹿じゃないのと思う。
どうせ死ぬ気もないくせに。本気で死を考えている人間は、絶対に人前でこんなことは言わない。

慰めてもらいたいだけだろうが。ならば素直に「慰めて」と言えばよい。
慰めてもらうことすら「人のせい」か。

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そういうわけであるので、この人が晴れてこういう日の目を見るのは、必然なんである。


 カウントダウンTVを見ていたら、SHINPEIが出ていた。
CIMG3981.jpg

CIMG3989_20090106000102.jpg
 感慨深うぃっしゅ。
 しかし、ギターの弾き方って、何年経っても変わらないもんなのな。


彼はそれに相応しい人間なのだ(彼にとってはスタートラインに立っただけなんだろうけど)。

僕は小さい人間なので、他人の成功には少なからず嫉妬する。
でもこの人だけは心から祝福できる。
そういう人なんだ、彼は。

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近親憎悪(1)
2009-01-02 Fri 03:40
ストリートで演奏しているバンドを見ると、目を背けてしまう。
聴くに堪えないへたくそが多過ぎるというのもあるが(何事も己を知らない奴というのは醜い)、根本的にはもっと別のところに原因があると思うのだ。

村上春樹が、次のような事を言っている。少し長くなるが引用しよう。

 オウム真理教という教団の存在を知ったのは、それが最初だったが、そのような選挙キャンペーンの光景を見たとき、思わず目をそらしてしまった。それは私がもっとも見たくないもののひとつだったからだ。まわりの人々も私と同じような表情を顔に浮かべ、信者たちの姿をまったく見ないふりをして歩いているようだった。私がそこでまず感じたのは、名状しがたい嫌悪感であり、理解を超えた不気味さであった。でもその嫌悪感がどこから来ているのか、なぜそれが自分にとって「もっとも見たくないもののひとつなのか」ということについて、そのときは深くは考えなかった。深く考えるほどの必要性を、私はそのときには感じなかったのだ。「自分とは関係のないもの」として、その光景をさっさと記憶の外に追いやってしまった。(中略)

 何故だろう?

 仮説はひとつである。それはオウム真理教という「ものごと」が実は、私にとってまったくの他人事ではなかったからではないか、ということだ。その「ものごと」は、私たちが予想もしなかったスタイルをとって、私たち自身の歪められた像を身にまとうことによって、私たちの喉元に鋭く可能性のナイフを突きつけていたのではないか?(中略)私たちはその存在(姿や踊りや歌)を、論理的思考システムの中からがんばって意識的に排除しなくてはならなかった。だからこそ私たちは、彼らの姿に心乱されることになったのだ。

 心理学的に言えば、私たちが何かを頭から生理的に毛嫌いし、激しい嫌悪感を抱くとき、それは実は自らのイメージの負の投影であるという場合が少なくない。だとすれば、千駄ヶ谷駅前でオウム真理教信者の姿に対して、私が抱いた圧倒的な嫌悪感も、あるいはそのあたりから発生して来ているのではないだろうか?私は立ち止まり、その可能性についてあらためて考えてみる。

   村上春樹『アンダー・グラウンド』より



最近CDを買わないが、理由はたぶん同じ。
聴いても純粋に楽しめない。嫉妬ばかりが噴き出す。
身体が完全に「プレイヤー」になってしまっており、もはや「リスナー」の耳には戻れない。

(つづく)

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