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インドシナ(4)~キリング・フィールド
2010-08-08 Sun 04:02
宿の階下はネットカフェ。
そしてそこのマスコット犬(名前失念)。

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人間には好かれないが、動物には好かれるわし。

こうも世界中にネットカフェが普及してしまうと、旅とは一体なんだろうと些か考えてしまうが、キリング・フィールドまでの道を調べた。
僕はとにかくツアーとかチャーターとかが嫌いである。
人を待たせていると思うと、どうにも落ち着かない。
自分の足と勘を頼りに動きたい。

・:*:・゜☆,。・:*:・゜。・:*:・゜☆,。・:*:・゜☆,。・:*:・゜。・:*:・゜☆,。

果てしなく続く草原地帯。抜けるような青空。子供たちの嬌声。
そんな平和としか言いようのない光景の只中に、それはぽつんと立っている。

CIMG4657.jpg

アメリカとロン・ノル政権に対抗するため、中国の支援のもと反米、反ロン・ノル統一戦線(ポル・ポト派=クメール・ルージュ)が組織され内戦が勃発。アメリカのベトナム戦争敗退の中、クメール・ルージュが勝利を収める。

ポル・ポト時代の幕開けである。

中国に強い影響を受けたポル・ポトは、従来の社会システムや文化を破壊し尽くした。
都市部の人間を農村に送り込み、全ての国民を組織の下で支配した。家族をバラバラに引き離し、全ての自由を奪ったのだ。

またポル・ポトは、旧時代の要人や軍人とその家族、クメール以外の民族を手始めに、指導者・医者・教師・僧侶などのエリート層や、さらに組織に不平を言った者、都市からの移動者、文字を読める者など、見つけ次第に次々と処刑。徐々に無差別殺戮へと暴走していく。

ポル・ポトが政権を執っていたわずか三年九ヶ月で数百万人もの国民が殺されたのだ。

1979年、ベトナム軍の侵攻によりポル・ポトは敗走。大量虐殺にようやく終止符が打たれた。
しかしその時、全ては破壊し尽くされており、カンボジアにはもはや何も残ってはいなかった。
ただ国中を死体が埋め尽くしているだけであった。

(堀田あきお『アジアのディープな歩き方』より)



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この骸骨達の一つ一つが、かつては確かに笑ったり怒ったりしていた筈なのに、そして地獄の責め苦を味わった筈なのに、

骸骨はただただ無表情だ。

しばし手を合わせた。


敷地内にはいくつもの窪地がある。
言うまでもなく、処刑された人々がここに放り込まれ、後に掘り出された跡だ。

CIMG4665.jpg

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未だにそこかしこに無造作に遺骨が散乱している。
まだ地中に眠っている人達が沢山いるんだろうな。

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