スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | ↑top
昔と全然変わってないんだな
2012-03-01 Thu 23:25

「習ってない漢字使うな」指導で自分の名前を書けない子供も

子供が漢字で自分の名前を書けるにもかかわらず、「平仮名に直せ」と指導されるケースが少なくないことがわかった。東京都在住のAさん(44才・主婦)がいう。

「子供には“小学校に上がる前に漢字で名前が書けるように”と漢字を覚えさせ、子供も名前を漢字で書けるようになったことで自信がついたのか、学校に行くのを楽しみにしていました。ところがある日、『習ってない漢字は平仮名で書かなきゃダメなんだって』とションボリして帰ってきたんです。思わず“ダメってどういうこと? 自分の名前なのになんで漢字で書いちゃいけないの?”と声を荒らげてしまいました」

さらに、学校や教師によって漢字がOKだったりNGだったりすることで、ますます混乱してしまう子供や保護者もいる。

「うちの名字は『清水』で、息子は全部漢字で書けます。担任の先生は息子が名前を漢字で書いても『平仮名に直しなさい』とはいわないそうですが、書写の先生には『平仮名に直しなさい』といわれてかなり戸惑っていました。
最近では先生の顔色を見ながら『清水』『し水』を書き分けているようですが、どうして子供がそんな気を使わなくちゃいけないのか。せめて学校内で統一してほしい」
(女性セブン)


漢字だけじゃない。
算数や英語でもそうである。
自分が教えていないことを生徒が知っていることを、極端に嫌がる教師は多い。

理由は簡単、嫉妬である。
教師自身が自分の知識が如何に貧弱かを自覚しており、生徒が他所から仕入れてくる知識によって、それを凌駕されることを如何に恐れているかの証左である。

そもそも公立小中学校のテストなんざぁ、あんなものは学力テストでもなんでもなく、教師に対する忠誠心のテストに過ぎない。

たとえば僕が小学生の時、算数の時間。
反比例のグラフを描く。表にあるxとyの値を見て方眼紙に点を打っていく。
それを曲線で繋ぐ…はずが、
なんとその教師は直線で繋いだ(←笑うとこです)
結果角張ったへんてこな反比例のグラフが出来上がった。
僕はその間違いを指摘した。
教師は激昂して「値の分からない点と点の間を勝手に曲線で繋ぐとは何事か」みたいなことを言った。

英語の時間。テストで「~は何色ですか」の英訳が出題された。
僕は"What color is~"と答えた。
結果は×。
教師に問うたところ「それはまだ教えていない」。逆に叱られた。
彼にとっては、自分の教えていないことは正しい英語として存在しないということのようだ。

絶対に横並びにしか成長させないという姿勢。異分子の存在を徹底的に希釈しようとする磁場。そういうものが(特に公立学校には)確かに在る。

こう言うと馬鹿みたいだが「事実」として。僕はわりと勉強ができた(小学生までね)。
テストなど、他の生徒の三分の一の時間で終わってしまう。
見直しをする。何度も何度も見直しをする。
いくら見てもどこも間違ってない。
それでも僕は、びくびくしながら見直しをする。

何故「びくびく」していたか。
子供の社会は「異形(いぎょう)なもの」を徹底的に排斥する。 それはいじめの問題を見ても自明だ。
ところが教師はそれを窘めるどころか、むしろそれを促進する巨大な存在であった。
人より早く終わって余裕かまして、一問でも間違っていようものなら、「それ見たことか。調子に乗っているからそうなるんだ」と言われる。

みんなに合わせなければいけないことが世の中には沢山ある。
それは分かる。

しかし、なにか歪んでいないか。
鼻くそほじりながら左手で書いたって簡単に解けてしまう手応えのない問題群を前に、僕は超難問を前にした時のような難しい顔を必死で演技でつくり、取り組まなければならなかった。
六年間、ずっと。
そしてそれでも人より早く終わってしまい、いつもいつも皆が追いつくのを待ち続けていた。

生徒の個性を伸ばすなんて大嘘。
人より伸びるとちょん切られる、それが僕が小学生の時に学校に抱いた感想だった。

よかったら応援クリックお願いします → 人気ブログランキング
関連記事
別窓 | ニュース | comments : 5 | ↑top
<<3.11(1) | 生意気言ってすみませんでした | だったらやめりゃいいじゃん>>
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012-03-02 Fri 20:00 | | #[ edit ] | ↑top
甥が受験だったので今は発表待ちです。
りょうくんもお疲れ様でした。

小学校に上がって、まだ間もない頃、担任のおばあちゃん先生に言われました。
「かあこさん、お帰りの会が終わったら席について待っていてください」って。
思えばとても神妙な気配で言われたのですが
わたしはあまり知能が高くない子供でしたので、そこは深くは考えませんでした。
誰もいない教室に一人でいると、先生がやってきて
おもむろにわたしの漢字ノートを開きました。
そしてそれこそ神妙に
「かあこさん、今から言うわたしの話をよく聞いてください。
あなたの書く“手”という字、これは手ではありません。“うし”です。」って。
わたしは事態の深刻さに少し気づき動揺しました。
しかし“うし”という字をまだ習っていなかった為
「なるほど・・・」というような反応はできませんでしたが
家に帰り両親にその出来事を話すと、中卒の両親はノートを見て笑い
「ほんとだ、うしだ!」と言ったのです。
「なんで?なんでこれがうしなの?」と戸惑うわたしに父は
「字引、引け。字引。」と、それだけ言い、仕事に戻り、母は字引の引き方を教えてくれました。

それからのわたしは字引と友達のようにいつも一緒にいたし
点だとかハネだとかバランスだとか、小さなことも大切にするようになりました。
先生は小さな子供の心の尊厳を守り、放課後の時間を割いてくださったし
親は学歴がなくても確かに見守ってくれていたと思えます。

そんな大人になりたいと思っていますが
おばあちゃんだと思っていた、あの当時の先生と幾つもかわらなくなっているし
字引、なんてもう死語だし。
2012-03-04 Sun 01:46 | URL | かあこ #-[ edit ] | ↑top
りょうくん。失礼します。
続編なんですけどいいですかね。
苦手なタイプの話かなあ。

先生はその何年かあとに、定年まで僅かな日を残して退職されたと聞きました。
その頃、先生のご子息が交通事故の加害者となってしまったのでした。
先生は「我が子も教育できなかった者が人様のお子さんを預るわけにはいかない」
と、きっぱりお辞めになったそうです。
先生にとって、最後の矜持を保つお姿だったと思います。
そしてさらに数年後、わたしが高校受験に合格した際
地元新聞に載った合格者名を見た先生から、お祝いの電話があったそうです。
「よくがんばりましたね。」と誉めてくださったと母から聞き、誇らしく思った記憶があります。
友人達に聞くと、小学校で1年1組だった者たち、皆電話をいただいたよう。
あのわら半紙にガリ版刷りの名簿を色が変わっても後生大事に持っておられたんでしょうね。
毎年、春の紙面を楽しみにされ、また激励することを責務とされていたのかとお察しします。

人生で初めてお会いした教育者が先生だったことは
並以下の知能のわたしが人並みに社会でお金を稼げるようになるのにはとても大事な出会いでした。
2012-03-04 Sun 18:00 | URL | かあこ #-[ edit ] | ↑top
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012-03-05 Mon 16:03 | | #[ edit ] | ↑top
>>非公開さん

 >今回の先生の投稿にあるような教師の「嫉妬」というのはやはり、
 >教師自身が絶対的な学力を身につけることでしか避けられないのでしょうか?

そうでもないと思いますよ。
てゆうか「絶対的な学力」なんていう大層なものを要求しているわけではないです。
予備校講師が100m走のランナーだとすると、学校教師はデカスロンの選手なわけで、そもそも求められる能力が異なります。

嫉妬ってのはさぁ、要するに「身分不相応な要求」だと思うんだよね。
愛される価値のない人間が愛されないことに憤ってるという。
貧弱な教養しかないんだったら、生徒の全教養を塗り潰そうなんて思わないこった、と。
2012-03-16 Fri 07:51 | URL | うょり #-[ edit ] | ↑top
 
 
 
 
 
 

| 生意気言ってすみませんでした |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。